ぷりんぱん日記

考えたことのありのままの記録

日記:疲れた

今日やったことを挙げて自分をほめたい。とりあえずまだ14時だが書いておく。

・調査票作成した(これでいいのかはわからないがとりあえず分析できる形にはできたと思う。とりあえずは....。きっと大丈夫!)

・10枚×160部印刷した!(1時間くらいかかった)

・非常勤の資料作成し終わった(やややっつけだけど、読めるものではあるので大丈夫だと思う)

・ちゃんと非常勤先にメールして送信できた

えらい!えらいぞー!ぱちぱち

 

そのあとTAの業務があって、それがかなり大変だったがなんとか今のところミスはなくてよかった。

いつもすることほとんどないのにこういう時に限って4つくらい頼まれごとをされた。やはりギリギリのスケジューリングはだめだなと痛感した。上記のタスクはたまたま滞りなく進めることができたが、コピー機が壊れる可能性だってあったし、後からTAの仕事だってもっと増えていたかもしれない。やっぱり自分でこれから起こることすべてを把握することはできない。制限時間いっぱいにタスクを詰めるのではなく、予備の時間を持っておくことが本当の本当に重要だと思う。

 

しかし、いつも調査をするときギリギリになるんだがどうしてだろう?

今回もだいぶ前もってやっていたつもりではあったものの、ギリギリになって完全に思うがままの調査はできなかった。と反省している。

なんでかなあと原因を考えてみると、やはりさっきと同じで、起こることすべてを自分で把握することなどできないことが関係しているような気がする。私だけで実験はできなくて、授業で調査させていただくことを依頼する先生、調査の出来を確認していただく先輩方、実験準備室の方々などいろんな方のおかげで調査ができている。そのすべての方の動きをすべてこちらが最初から把握できるなんてことはない。そして自分ができる範囲のことも、予測通りの時間で進むとは限らない。余白の時間を大切にしなきゃいけないと思う。

 

それに調査にもやっぱり完璧を求めるが、調査する前から望んだ結果が出るとわかっているような調査などありえない。それでも先行研究を調査し仮説を立て実験してみるしかない。そしてその結果を丁寧に分析し、次の研究につなげるしかない。

さて、来週の今日はいろいろな締め切りが終わる。来週までまた頑張ろう。せめて心に余裕を。

 

 

日記:Keep calm and carry on.

学期末なので忙しくなってきた。調査をしてるのでやることが次々現れてきた。

いろいろやらなきゃいけないことがあっても冷静でいることを忘れないようにしたい、と常々思っているし、大人になればなるほどその大切さが身に染みてわかってきた。けど、私はいつも焦ってばかりだ。落ち着いてやればいいのに、大丈夫か不安になったり、早くしなきゃと焦る。

落ち着いて冷静に対処するためには何が必要かを今一度考えてみたい。それを考えて、今一度冷静になるために文字を起こしている。

まず計画性。やることが多すぎればそれはストレスがかかったり焦りに繋がる。そもそものタスクの数とそれに充てられる自分の時間を検討した方がいい。今はどうか?うーん、ややタスクが多い。ので減らせるものを少し減らさせてもらった。今後はなんでもかんでも引き受けず、無理をしないことが大切だな。

あとは完璧主義をやめること。完璧なんて存在しない。出来をそこまで気にすることなく、8割仕事でさくさく進めていくのが今年の目標だ。調査にしたってどれだけ頑張ってもうまくいかないところは生じるし、結果が出ないものは出ないのだ。幸いにして博士課程はまだ続く。またチャレンジできる。

あとは人のことをあまり気にしないこと(よく言われるバウンダリーだな)。結局人は、相手にどう思われるかを自分では操作することはできないのだ。自分が操作できるのは自分内のことだけ。他人との境界線を引き、自分の範囲だけをマネジメントする。こんな風に思われるんじゃないかと気にしすぎず、人のこと、他人がどう思うかは私の手の届かないところにあると考えた方がいい。これに関してもまだ勉強中なので、うまく人には言えない。

そして、深く考えすぎないこと。自分で今しなきゃいけないことのすべてのことを操作することはできない。他の人も関わっているし、調査なんか水物だし、研究計画書だって他の人がみて評価するものだ。すべてが努力で何とかなる、と思いすぎだ。そんな世の中単純じゃない。運も、環境要因も、人的要因もあって、そのうち自分が努力して何とかなる部分は全体の一部に過ぎない。全部じゃない。

努力は確かに良いことだ。努力するからこそ人は何かを変えられる。しかし、努力がすべてではないのだ。人には頑張ってもどうすることもできないことがある。努力の限界、自分が扱えることの限界を知った方がいいのかもしれないと書いていて思った。それは努力を放棄することじゃない。何もかもに、限界は存在するのだ。

脱、努力教、というのも大切かもしれない。私が一生懸命すれば、何もかも好転する?そんなわけがない。努力は変化にとってときに必要条件なのかもしれないが、十分条件ではない。努力教をやめて、努力の限界を知った人になりたい。努力の限界を知ったうえで、何に努力できるか、どこまでなら努力できるかを考えたい。

あとは、まあなるようになると思うことも大切かも。これは深く考えすぎないのと同じだな。結局私の力が及ぼせる範囲は、良くも悪くも決まっている。大きな波の中にいる。それに合わせて力をいいかんじに乗せていくと考えた方がいいのかもしれない。Let it be とはよく言ったものなのかもしれない。

 

うーん、まだ私は発展途上だなあ。うまくいかないことばかりだ。今回もまた、終わったころには反省点がたくさんあるのだろう。それでも、私にできることはベストを尽くすことだ。できているところも前より良くなったところもきっとある。そういうポジティブな面にも目を向けることが必要だ。ネガティブ要素ももちろんあるけどね。両方の面に目を向けられる人が大人なんじゃないのかなと思うんだよな。

ちょっと書いたら落ち着いてきた。気楽にいこう。結局はなるようになるが、できることはしたい。

日記:信じられるのは自分だけ

いろいろな方面に送ったメールが今現在帰ってきてなくて、今とってもしんどい。実験にもかかわることだから、生命線を他者に握られているような感覚だ。まあ仕方ない、自分だけで生きてるわけじゃないんだから。

--------------------

カウンセリングの先生に悩みを話した。いつも、先生と話すと、分かってもらえてよかったと思う気持ちも出るんだけど、なんだかすべてを分かってもらうことはできていないしそれは望んではいけないんだなという感覚になる。その線を引かれている気がする、いつも。それは病院の先生に対してもそういう感覚を覚える。

分かってもらえないと、すべてを肯定してもらえないと、私はなんだか間違っている側の人間か?と思ってしまう。しかしセカオワのHabitを思い出し思いとどまる。分類なんて所詮できなくて、結局私は私でしかないのだよな。

私はおかしい人間だ、という思考からもう抜けたい。そもそもおかしいという絶対的な基準なんて世の中には存在しない。それでも変わってると思われることはあるかもしれないが。

「変わりもんは、変わりもんとして堂々と生きればよか。自分ば知っちょる人間が一番強かけん」と大好きなドラマの祖母役の祥子さんが言っていた。本当にそうだと思う。

変わっていても、変わっていなくても、堂々と生きたらいい。だってその自分が、まぎれもなく自分だからだ。さげすむ必要もない。Baby it's you(YUKI)なのだ。

------------------------------

分人主義という考え方があって、その考え方では本当の自分、偽りの自分を想定しなくてどの人と接している自分もまぎれもなく本当の自分だと解釈する。誰かと接する自分がうまくいかなくて変わり者だと思われても、それが本当の自分の姿だと思う必要はない。その人との関係に限定すれば、そういう自分が現れる、それだけの話だ。好かれる自分も、嫌われる自分も、どれも事実で、ただ接する相手が違うというだけだ。

そう考えると、嫌な自分も自分の一部なのか?という気持ちになってやや整合がつかなくなってきてしまった。まだ解釈が追い付いていない。けど、嫌な自分や嫌われる自分が現れた時、それが本性だと深く捉えすぎなくていいというのがメインの言いたいことなのかなと思う。また後日考える。

----------------------------

最後に推しの尊い言葉を記して終わる。推しの人間性が本当に好きだな。

「人生いろいろなことがあるけど、何より楽しんだ人が笑顔で入れるから楽しもう!人と比べなくていいんだよ、自分の中で最高に楽しいなら周りが何言ってきても、それが自分の最上なんだから^^とにかくみんなが笑ってられますように!」

日記:いつも不安

携帯から投稿してみる。

私は大きなことを夢見る。やりたいこともたくさんある。

その障壁となるのが、自分のメンタルの問題だ。

自分は不安になることがかなり多い。環境の変化にもめっぽう弱い。なのに、浪人したり、県外の大学に進学したり、チャレンジをたくさんしてきた。

でも本当に不安になりやすいので、できなかったこともあった、と書こうとしたが、考えた限りそれほど大きなことはあまりない。強いて言えば、今回参加する予定だった国際学会をオンライン参加にしたことくらいだ。薬の副作用が強く出て体がしんどいのが続いて、これは無理かもなと思ってしまって変更した。まあこれは仕方ないということにしている。(とはいえ行けばよかったと思うのかもしれないが…)でも、今までは今までで、これからはまた新しい局面に差し掛かる。就職や、結婚、出産など大きな決断をすることが増えるのは間違い無いだろう。

これから、まだまだやりたいことがある。人生で叶えたい夢もだんだん見えてきた。でも、この私の特性とうまく付き合わなければならない。では、どうすればいいのか。

私の今の答えは、本当にやりたいと思う、わくわくできる道を選ぶことかなあと何となく考えていた。高校も、大学も、留学も、なんだかそれがいいことだと心から思えて、わくわくできたから、不安に負けずにやると決断することができたんだと思う。希望というと少し話が大きくなる気がするが、わくわくとした弾むような気持ちってとても大切だと思う。不安にならないように、じゃなくてそういう前のめりな気持ちで決断していきたい。

そして決めた後の不安や未練に負けないことかなあ。いつも、やっぱりあっちがよかったかなと決断した逆の方に対する未練が生じてしまうことが多いのだ。決断した方が最善と言い聞かせることだろうか。それもそうだしもう時間切れならばそうだと思うのだが、そう言い聞かせることは思考停止では無いかと思ったりしてしまうのだ。この未練の問題に関してはまだ結論は出ない。生きてみて、やってみて練習してみるしか無いような気もしている。優柔不断なのだ、簡単に言えば。それでも、決めてみること、納得できるまで向き合うことが大切なのだろう。その練習を、これからの人生で少しずつやっていきたい。

いつか夢を叶えたい、でもそのために必要なステップはたくさんある。それはとても大変で、できるか不安になるけど、夢が叶った時のことを想像してワクワクしながら、頑張らたらいいなと思う。不安に負けたくないぞ!

 

日記:コロナか?

おばあちゃんと父がコロナになった。

のこりの家族も検査して、結果みんな陰性だった。

とにかくおばあちゃんが心配だ。持病も持っているので入院させてもらえそうだが、まだ年末年始なので無理そうだ。しっかり良くなることを祈っている。もちろんお父さんも。

今は本当に誰がかかってもおかしくない。明日は我が身だし、もしかしたらこれから発症するかもしれないし。やはり命が一番大事、健康が一番大事。すべてはその次。

明日はゼミだ。今日はこのことでどたばたして気持ちが落ち着かなかったが、それでもやるしかないし私の仕事だ。頑張ろう。

日記:みんなと話して、福井に帰ってきて、思ったこと

高校生の頃、私はずっとふわふわと、ワクワクしていたような気持ちだったことを、帰省して、友達福井駅の西武の横をもう少しいった、繊協ビルが見えるくらいのところを通り過ぎて思い出した。高校時代よく歩いた道だ。

勉強も楽しかったし成績もよかった。素敵な友達もたくさんいた。部活も楽しかった。家族とも不和はなかった。とにかく毎日楽しかった。

将来何になるとかよくわからなかったけど、なんとなくふわふわした希望のようなものを感じていた気がした。その時はそれを希望だなんて思っていなくて、なんとなく楽しいな、と感じていたけど、それはとても貴重なものだったと今振り返って思う。たぶんだけど、やってみればなんだってできるような気がしていた。自分を成長させたいと感じていた。

そして今年、コロナ禍もやや?落ち着いたため久しぶりに複数の高校時代の友達と遊んだが、みんなと話すととても元気が出た。なんだかその頃の自分を思い出したというか、戻った気がした。万能感とは言わないけど、なぜかあたたかなふわふわしたエネルギーみたいなものに包まれていたような気がするのだ、高校時代の私は。頑張れば、なんだってやれるような気がしたのかな、でもとにかく、素敵な3年間だったと思った。

大学院に入ってからいろんなことを経験した今は、高校時代のそんな感覚は残っていなくて、去年はとにかく自分の無力さと今の環境への辟易を苦しいほどに感じていた一年だった。

そしてみんなに研究の話をした。研究の内容について話した友達の一人は、そんな大きなことを考えて、素敵なことをやりたいと思っているんだねと言ってくれた。(ああ、素敵なことをもっと言ってくれたのに思い出せない...私は嬉しかったり胸がいっぱいになったりすると、その感情の強さのあまりそのことの詳細を覚えていられない傾向があるということに去年気づいた)。研究の世界は競争の面が強くてそれが苦しいという話をしたら、そんな極端に比べられたりするんだね、やってること自体に意味があるのにねと言ってくれた。指導で問題が出たと話したら、研究も実際のところは複雑で大変なこともあるんだねと言ってくれた。

私は、みんなと研究の話ができたことが、なんだかとても嬉しかった。つながるはずのない、高校時代と現在自分がいるアカデミアという世界での経験がつながったような気がしたのだろうか。その二つはどちらも私が経験したことだけど、頭の中でつなげて考えたことはなかった。まあ高校時代のことなんて、普段は忙しくてやることで頭がいっぱいで考えないよね。

去年はとにかく自分の無力さと今の環境への辟易を苦しいほどに感じていた一年だった。けど、本当は何も変わっていないかもしれないと思った。私は私で、大切なこと、大切にしたいことは高校時代から何も変わっていない。私を取り巻いている世界は変わったけど、本当に大切なことは何も変わっていなくて、変わってしまったのは自分だった。

確かに、私が研究したいことを、アカデミアの文脈で示すのには苦しんでいる。私のことを理解してくれない人もいる。けど、高校時代の友達とは、気持ちを共有できて、分かってもらえる。アカデミア、自分が今いる大学院という世界だけが世界じゃない。そこの自分が本当の自分というわけでもない。

私はまた、ふわふわとした希望みたいなものを、時折思い返そうと思う。まだ人生経験が浅かったからそう思っていただけだったかもしれないけど、それでもまだ、私は成長したいと思っているし、成し遂げたいと思うことも当時より具体的になった。時折そういう気持ちを思い返して、あの時の希望を忘れずに、現在取り組むべき課題に取り組んでいきたいと思う。

まだ思っていることがまとまっていなくて後半うまくまとめきらなかったが、とりあえず記録として残しておく。これがゼミの準備より大切なことだと言い聞かせつつ...。

 

ー繊協ビル?何のビルだ?と思ったのは高校生のやわらかな私

野心を抱き続けよう。それを実現するために、日々の課題に地道に取り組もう。

2022年の振り返り

せっかくなので今年を簡単に振り返りたい...と思ったが、書いたところで年を越してしまった。

去年の印象的だったことをなんとなく振り返る。

 

1.彼氏ができた

年の初めに院の同期と付き合うことになった。私のことが一年くらい好きだったらしい。友達だと思っていたので、そういう気持ちを持っていてくれていたことに驚いた。悩んだけど、私のことをほんとにわかってくれている気がして信用できるかもな、信用してみようと思って付き合った。結果とてもよかったと思う。いろいろ去年は大変だったけど、彼氏に支えてもらった部分はとても大きいし、一緒にいて楽しかった。本当に感謝している。

 

2.病気の波

やはり病気については思うところが多く、人にも話せない内容なので消化しきれておらず長くなってしまったが、記述する。

今年の病状としては6月~7、8月中旬が鬱、その後1週間くらい躁、その後8月末~10月頭くらいまで混合状態、それ以降寛解期、といった感じで、年の中盤は病気の波に付き合っていたという感じだった。きっかけとしては、大きくは薬を飲み忘れ、というか飲まないでいることが多くなったことだったと思う。彼氏ができて、最初は病気だということを言っていなかった。でも、私は薬を食後に飲まなければならないので、一緒にいるときに飲まなければならなくなることが多くなった。でも、ばれたくなかったので隠れて飲むようにしていたが、タイミングをつかめず飲むのが遅くなったり、場合によっては飲み忘れたりしていた。この病気の難しいところが、飲み忘れてすぐに体調が変化するわけではないところだ。基本的に予防のために飲んでいるので、一度飲み忘れたところで即時的に何か変化が起こるわけではない。だから飲み忘れても別に体調的には変わらず大丈夫だったという経験を何度も積んでしまい、結果飲まなくなったり飲んだりを繰り返した。そして鬱を再発した。

その後、彼氏には病気だということを打ち明け、薬を毎日飲まねばならないことを伝えた。彼氏は理解をしてくれた。隠れて飲んでいたことも言ったら、隠す必要なんてなかったよ、大丈夫だよと言ってくれた。このことに本当に救われた。家族以外の人に初めて病気のことを伝えたからだ。

やはり、鬱は相当につらいし、頭の回転が悪くなったり話せなくなる。多分他の人も変化に気づいているのかもしれないなあと思いつつ、彼氏以外には誰にも言っていないしこれから言うこともきっとない。体調が第一だということを去年は痛感した。本当にパフォーマンスが下がってしまう、どれほど私が頑張っても。今は元気でやれているので、油断せず、これからも維持して行けたらなあと思う。

 

3.研究が進まなかった

博士後期課程に進学した。そして指導教官が在外研究でアメリカに行った。先生から4か月音沙汰がなくて、研究を一人で進めていたが、内容に迷走した。8月くらいに先生(副指導)に連絡して立て直しを図ったが、それでも失った4か月だと思ってしまった。今考えると、一人でやらずに先生に面談を申し込んで相談しながらやればよかったと思った。なぜそうしなかったかというと、Dに進学するとき他大も受験していて(結局落ちたが)、その時に「レベルの高い大学は一人で研究をする」と聞いていたから、私も一人で研究ができるようになりたいと思ったのであんまり相談しなかった。極端だったなあと思う。たぶんそういうレベルの高い大学でも全然相談しないなんてことはないはずだ。だってまだ学生で一人前の研究者になるための過程にある。相談して悪いとこなど(頼りすぎるのは毒だと思うが)ほとんどない、ということに気づいた(遅いしあほ!ほんとに!)。でも気づかぬまま卒業するよりかは全然よかったと思う。これからは頼るところは頼っていこうと思う。12月末に指導教官に相談した時、なんだか学部の時を思い出した。先生のアドバイスが優しくてクリティカルでユーモラスで、将来どうなりたいか、研究者になりたいのかなんてよくわからなかったけれど、とにかく先生みたいになりたい、みたいな憧れの気持ちがあったことが進学の一つの理由だったかもなあと思い返していた。これからは恥ずかしがらずに、分からないことはわからない、助けてほしいことは助けてほしいと素直に言おう。そうしても助けてくれるような先生だということが、失敗をしてしまった私にとっての一つの救いだと思う。

そして、頼りつつも、研究を進めることの責任は指導教官になく自分にあるということを忘れないようにしたい。それは大変なことかもしれないけど、一方で、研究がすべて自分の手の中にあって自分でスケジュールを組めるというのは精神的余裕に繋がると思う。ゼミの頻度が定まらなくて、ゼミで一度失敗すると期間が空いてしまうのでゼミでうまくやらねばというプレッシャーが半端なかった。でも、ゼミに縛られずにやろうと思う。あくまで自分で研究を進めて、すべてはその補助。当たり前かもしれないけど、なんだかまだお客様気分だったのかもしれない(と思ったけど、システム的にそうならそれに乗ろうと、乗ってうまくやっていこうとするのも普通の思考だとも思う)。そういった感覚から抜け出して、自分でやれるようになるいい機会だと思って、研究への姿勢を変えいてきていたいと思う。何よりそれが自分の余裕のもととなる。

 

4.孤独を感じた

この項を設けるのを彼氏には申し訳ないと思っている(彼氏がいたのに孤独とはなんだ!)。でも孤独を感じた分、彼氏には助けられたという意味で勘弁していただきたい。

修士時代に仲が良かった子が就職のため卒業後実家に帰ってしまった。私もその子も毎日大学にいるタイプだったので、修士の時は良く話していたのだが、いなくなってしまうと本当に良く話す人がいなくなってしまった。その子とは本当に気が合っていたので、なんでも話せて楽しかったし、悩みも分かってくれてありがたかったので、去年はその子のありがたみを感じるとともに、とても寂しかった。もともと彼氏とは恋人になる前もそれほど話していなかったし、彼氏とは帰ってから話すことはあったけど大学では話さなかった。仲良くしてもらってた先輩とも恋愛関係でいろいろあって気まずくなってしまって、半年くらいは大学では一人でいることがほとんどになってしまった。

最初は別にどうってことないと思っていたけれど、だんだんしんどくなってきた。自分には誰も友達なんていない、みたいな気持ちになっていたし、病気がひどくなっていた時期でもあったので、私は結局おかしくなってしまって、友達がいなくなってしまったんだと思ってしまっていた。特に7月ごろは、本当に胸が痛くなるくらい孤独を感じていた。

それが回復したのは、病気がやや回復したのもあるかもしれないけど、9月くらいに先述した友達に会ったこと、高校時代の親友に会ったことだった。

どちらもとても楽しくて、気持ちを共有できて、本当にうれしかった。私にも大切な友達がいるんだって、頭じゃなくて心からそう思えた。だから、私が感じていた孤独感はどちらかといえば虚構で、本当は大切な人はたくさんいるんだ、とそこから思い直した。家族だってそうだ、みんな今もずっと支えてくれていて、今大学院で生活できているのは家族のおかげだし、それまでもいろんな人と関わってきて、お世話になって、今があると思う。だから、私は本質的には孤独ではないと思った。

そうはいっても日々は孤独なので、その対策を頑張った。友達と定期的に合うようにしたり、写真を見返したり、連絡を取ったり電話をしたりと交流を持つようにした。連絡するとやっぱりうれしくて、友達のありがたさを身にしみて感じたし、改めて大切な存在だなと感じた。それとか、院生部屋が一緒の後輩とお話しするようにしたり、学内での交流も持つようにした。こういう気軽な交流ってとっても大事だったよな、と頃名前を思い返したりした。メンタルケアみたいなものについて書かれた本を読んだりもしたのだがそれが結構面白くてためになった。5つのことがメンタル維持には大切だということが書かれていて(つながる、動く、気づく、学ぶ、与える)、そのなかにも特に印象的だったのが、つながる、与えるだった。私はつながりの希薄な中にいるからこそ、つながりの大切さを改めて知った。そして与えることも重要なんだということが驚きだった。人を援助することで、自分が幸せになるということである。ヘルパーズハイという言葉もあるくらいだという。これを知って、他の人を助けられる場面があれば助けたり、話を聞いたりしようという気持ちが増えた。つながることは、相手がいることだから限界があるかもしれないけど、与えることはより人と人との境界線のゆるい、こちらが主導権を握ることのできることだと思う。

今年も、様々な人とのつながりを大切にしていきたいと思う。研究でも、私生活でも、病気をしている間も、孤独感にさいなまれた一年であったと思う。それでも、大切な友達や、助けてくれる人はたくさんいた。それは、私が知ろうとしなければ、声をかけなければ、助けてと言わなければ、分からないことだった。自分から、世界に声をかけたい。積極的に世界とつながっていきたい。そして、大切な人たちを大切にして、自分らしく生きていきたいと思う。

 

まとまりはないけどだいたいこんな感じかなあ。

今目下思ってることは、自分の気持ちを大切にすること。目先の分かりやすい目標(競争に勝つとか)にとらわれず、本当に自分が願う世界を作りたい、子供が生きやすい世界を作りたいという目標に向かって頑張ること、英語を話せるようになる(英語の本も読めるようになる)こと、芸術を学ぶこと、常にユーモアを忘れないこと!そしてつながり、感謝を忘れないこと。頑張りすぎないこと。研究では、論文1本出す。まだまだあるけど、とりあえずこの程度で。今思ってることでした。