ぷりんぱん日記

考えたことのありのままの記録

日記:信じられるのは自分だけ

いろいろな方面に送ったメールが今現在帰ってきてなくて、今とってもしんどい。実験にもかかわることだから、生命線を他者に握られているような感覚だ。まあ仕方ない、自分だけで生きてるわけじゃないんだから。

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カウンセリングの先生に悩みを話した。いつも、先生と話すと、分かってもらえてよかったと思う気持ちも出るんだけど、なんだかすべてを分かってもらうことはできていないしそれは望んではいけないんだなという感覚になる。その線を引かれている気がする、いつも。それは病院の先生に対してもそういう感覚を覚える。

分かってもらえないと、すべてを肯定してもらえないと、私はなんだか間違っている側の人間か?と思ってしまう。しかしセカオワのHabitを思い出し思いとどまる。分類なんて所詮できなくて、結局私は私でしかないのだよな。

私はおかしい人間だ、という思考からもう抜けたい。そもそもおかしいという絶対的な基準なんて世の中には存在しない。それでも変わってると思われることはあるかもしれないが。

「変わりもんは、変わりもんとして堂々と生きればよか。自分ば知っちょる人間が一番強かけん」と大好きなドラマの祖母役の祥子さんが言っていた。本当にそうだと思う。

変わっていても、変わっていなくても、堂々と生きたらいい。だってその自分が、まぎれもなく自分だからだ。さげすむ必要もない。Baby it's you(YUKI)なのだ。

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分人主義という考え方があって、その考え方では本当の自分、偽りの自分を想定しなくてどの人と接している自分もまぎれもなく本当の自分だと解釈する。誰かと接する自分がうまくいかなくて変わり者だと思われても、それが本当の自分の姿だと思う必要はない。その人との関係に限定すれば、そういう自分が現れる、それだけの話だ。好かれる自分も、嫌われる自分も、どれも事実で、ただ接する相手が違うというだけだ。

そう考えると、嫌な自分も自分の一部なのか?という気持ちになってやや整合がつかなくなってきてしまった。まだ解釈が追い付いていない。けど、嫌な自分や嫌われる自分が現れた時、それが本性だと深く捉えすぎなくていいというのがメインの言いたいことなのかなと思う。また後日考える。

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最後に推しの尊い言葉を記して終わる。推しの人間性が本当に好きだな。

「人生いろいろなことがあるけど、何より楽しんだ人が笑顔で入れるから楽しもう!人と比べなくていいんだよ、自分の中で最高に楽しいなら周りが何言ってきても、それが自分の最上なんだから^^とにかくみんなが笑ってられますように!」