ぷりんぱん日記

考えたことのありのままの記録

日記:Keep calm and carry on.

学期末なので忙しくなってきた。調査をしてるのでやることが次々現れてきた。

いろいろやらなきゃいけないことがあっても冷静でいることを忘れないようにしたい、と常々思っているし、大人になればなるほどその大切さが身に染みてわかってきた。けど、私はいつも焦ってばかりだ。落ち着いてやればいいのに、大丈夫か不安になったり、早くしなきゃと焦る。

落ち着いて冷静に対処するためには何が必要かを今一度考えてみたい。それを考えて、今一度冷静になるために文字を起こしている。

まず計画性。やることが多すぎればそれはストレスがかかったり焦りに繋がる。そもそものタスクの数とそれに充てられる自分の時間を検討した方がいい。今はどうか?うーん、ややタスクが多い。ので減らせるものを少し減らさせてもらった。今後はなんでもかんでも引き受けず、無理をしないことが大切だな。

あとは完璧主義をやめること。完璧なんて存在しない。出来をそこまで気にすることなく、8割仕事でさくさく進めていくのが今年の目標だ。調査にしたってどれだけ頑張ってもうまくいかないところは生じるし、結果が出ないものは出ないのだ。幸いにして博士課程はまだ続く。またチャレンジできる。

あとは人のことをあまり気にしないこと(よく言われるバウンダリーだな)。結局人は、相手にどう思われるかを自分では操作することはできないのだ。自分が操作できるのは自分内のことだけ。他人との境界線を引き、自分の範囲だけをマネジメントする。こんな風に思われるんじゃないかと気にしすぎず、人のこと、他人がどう思うかは私の手の届かないところにあると考えた方がいい。これに関してもまだ勉強中なので、うまく人には言えない。

そして、深く考えすぎないこと。自分で今しなきゃいけないことのすべてのことを操作することはできない。他の人も関わっているし、調査なんか水物だし、研究計画書だって他の人がみて評価するものだ。すべてが努力で何とかなる、と思いすぎだ。そんな世の中単純じゃない。運も、環境要因も、人的要因もあって、そのうち自分が努力して何とかなる部分は全体の一部に過ぎない。全部じゃない。

努力は確かに良いことだ。努力するからこそ人は何かを変えられる。しかし、努力がすべてではないのだ。人には頑張ってもどうすることもできないことがある。努力の限界、自分が扱えることの限界を知った方がいいのかもしれないと書いていて思った。それは努力を放棄することじゃない。何もかもに、限界は存在するのだ。

脱、努力教、というのも大切かもしれない。私が一生懸命すれば、何もかも好転する?そんなわけがない。努力は変化にとってときに必要条件なのかもしれないが、十分条件ではない。努力教をやめて、努力の限界を知った人になりたい。努力の限界を知ったうえで、何に努力できるか、どこまでなら努力できるかを考えたい。

あとは、まあなるようになると思うことも大切かも。これは深く考えすぎないのと同じだな。結局私の力が及ぼせる範囲は、良くも悪くも決まっている。大きな波の中にいる。それに合わせて力をいいかんじに乗せていくと考えた方がいいのかもしれない。Let it be とはよく言ったものなのかもしれない。

 

うーん、まだ私は発展途上だなあ。うまくいかないことばかりだ。今回もまた、終わったころには反省点がたくさんあるのだろう。それでも、私にできることはベストを尽くすことだ。できているところも前より良くなったところもきっとある。そういうポジティブな面にも目を向けることが必要だ。ネガティブ要素ももちろんあるけどね。両方の面に目を向けられる人が大人なんじゃないのかなと思うんだよな。

ちょっと書いたら落ち着いてきた。気楽にいこう。結局はなるようになるが、できることはしたい。