ぷりんぱん日記

考えたことのありのままの記録

日記:みんなと話して、福井に帰ってきて、思ったこと

高校生の頃、私はずっとふわふわと、ワクワクしていたような気持ちだったことを、帰省して、友達福井駅の西武の横をもう少しいった、繊協ビルが見えるくらいのところを通り過ぎて思い出した。高校時代よく歩いた道だ。

勉強も楽しかったし成績もよかった。素敵な友達もたくさんいた。部活も楽しかった。家族とも不和はなかった。とにかく毎日楽しかった。

将来何になるとかよくわからなかったけど、なんとなくふわふわした希望のようなものを感じていた気がした。その時はそれを希望だなんて思っていなくて、なんとなく楽しいな、と感じていたけど、それはとても貴重なものだったと今振り返って思う。たぶんだけど、やってみればなんだってできるような気がしていた。自分を成長させたいと感じていた。

そして今年、コロナ禍もやや?落ち着いたため久しぶりに複数の高校時代の友達と遊んだが、みんなと話すととても元気が出た。なんだかその頃の自分を思い出したというか、戻った気がした。万能感とは言わないけど、なぜかあたたかなふわふわしたエネルギーみたいなものに包まれていたような気がするのだ、高校時代の私は。頑張れば、なんだってやれるような気がしたのかな、でもとにかく、素敵な3年間だったと思った。

大学院に入ってからいろんなことを経験した今は、高校時代のそんな感覚は残っていなくて、去年はとにかく自分の無力さと今の環境への辟易を苦しいほどに感じていた一年だった。

そしてみんなに研究の話をした。研究の内容について話した友達の一人は、そんな大きなことを考えて、素敵なことをやりたいと思っているんだねと言ってくれた。(ああ、素敵なことをもっと言ってくれたのに思い出せない...私は嬉しかったり胸がいっぱいになったりすると、その感情の強さのあまりそのことの詳細を覚えていられない傾向があるということに去年気づいた)。研究の世界は競争の面が強くてそれが苦しいという話をしたら、そんな極端に比べられたりするんだね、やってること自体に意味があるのにねと言ってくれた。指導で問題が出たと話したら、研究も実際のところは複雑で大変なこともあるんだねと言ってくれた。

私は、みんなと研究の話ができたことが、なんだかとても嬉しかった。つながるはずのない、高校時代と現在自分がいるアカデミアという世界での経験がつながったような気がしたのだろうか。その二つはどちらも私が経験したことだけど、頭の中でつなげて考えたことはなかった。まあ高校時代のことなんて、普段は忙しくてやることで頭がいっぱいで考えないよね。

去年はとにかく自分の無力さと今の環境への辟易を苦しいほどに感じていた一年だった。けど、本当は何も変わっていないかもしれないと思った。私は私で、大切なこと、大切にしたいことは高校時代から何も変わっていない。私を取り巻いている世界は変わったけど、本当に大切なことは何も変わっていなくて、変わってしまったのは自分だった。

確かに、私が研究したいことを、アカデミアの文脈で示すのには苦しんでいる。私のことを理解してくれない人もいる。けど、高校時代の友達とは、気持ちを共有できて、分かってもらえる。アカデミア、自分が今いる大学院という世界だけが世界じゃない。そこの自分が本当の自分というわけでもない。

私はまた、ふわふわとした希望みたいなものを、時折思い返そうと思う。まだ人生経験が浅かったからそう思っていただけだったかもしれないけど、それでもまだ、私は成長したいと思っているし、成し遂げたいと思うことも当時より具体的になった。時折そういう気持ちを思い返して、あの時の希望を忘れずに、現在取り組むべき課題に取り組んでいきたいと思う。

まだ思っていることがまとまっていなくて後半うまくまとめきらなかったが、とりあえず記録として残しておく。これがゼミの準備より大切なことだと言い聞かせつつ...。

 

ー繊協ビル?何のビルだ?と思ったのは高校生のやわらかな私

野心を抱き続けよう。それを実現するために、日々の課題に地道に取り組もう。