ぷりんぱん日記

考えたことのありのままの記録

2022年の振り返り

せっかくなので今年を簡単に振り返りたい...と思ったが、書いたところで年を越してしまった。

去年の印象的だったことをなんとなく振り返る。

 

1.彼氏ができた

年の初めに院の同期と付き合うことになった。私のことが一年くらい好きだったらしい。友達だと思っていたので、そういう気持ちを持っていてくれていたことに驚いた。悩んだけど、私のことをほんとにわかってくれている気がして信用できるかもな、信用してみようと思って付き合った。結果とてもよかったと思う。いろいろ去年は大変だったけど、彼氏に支えてもらった部分はとても大きいし、一緒にいて楽しかった。本当に感謝している。

 

2.病気の波

やはり病気については思うところが多く、人にも話せない内容なので消化しきれておらず長くなってしまったが、記述する。

今年の病状としては6月~7、8月中旬が鬱、その後1週間くらい躁、その後8月末~10月頭くらいまで混合状態、それ以降寛解期、といった感じで、年の中盤は病気の波に付き合っていたという感じだった。きっかけとしては、大きくは薬を飲み忘れ、というか飲まないでいることが多くなったことだったと思う。彼氏ができて、最初は病気だということを言っていなかった。でも、私は薬を食後に飲まなければならないので、一緒にいるときに飲まなければならなくなることが多くなった。でも、ばれたくなかったので隠れて飲むようにしていたが、タイミングをつかめず飲むのが遅くなったり、場合によっては飲み忘れたりしていた。この病気の難しいところが、飲み忘れてすぐに体調が変化するわけではないところだ。基本的に予防のために飲んでいるので、一度飲み忘れたところで即時的に何か変化が起こるわけではない。だから飲み忘れても別に体調的には変わらず大丈夫だったという経験を何度も積んでしまい、結果飲まなくなったり飲んだりを繰り返した。そして鬱を再発した。

その後、彼氏には病気だということを打ち明け、薬を毎日飲まねばならないことを伝えた。彼氏は理解をしてくれた。隠れて飲んでいたことも言ったら、隠す必要なんてなかったよ、大丈夫だよと言ってくれた。このことに本当に救われた。家族以外の人に初めて病気のことを伝えたからだ。

やはり、鬱は相当につらいし、頭の回転が悪くなったり話せなくなる。多分他の人も変化に気づいているのかもしれないなあと思いつつ、彼氏以外には誰にも言っていないしこれから言うこともきっとない。体調が第一だということを去年は痛感した。本当にパフォーマンスが下がってしまう、どれほど私が頑張っても。今は元気でやれているので、油断せず、これからも維持して行けたらなあと思う。

 

3.研究が進まなかった

博士後期課程に進学した。そして指導教官が在外研究でアメリカに行った。先生から4か月音沙汰がなくて、研究を一人で進めていたが、内容に迷走した。8月くらいに先生(副指導)に連絡して立て直しを図ったが、それでも失った4か月だと思ってしまった。今考えると、一人でやらずに先生に面談を申し込んで相談しながらやればよかったと思った。なぜそうしなかったかというと、Dに進学するとき他大も受験していて(結局落ちたが)、その時に「レベルの高い大学は一人で研究をする」と聞いていたから、私も一人で研究ができるようになりたいと思ったのであんまり相談しなかった。極端だったなあと思う。たぶんそういうレベルの高い大学でも全然相談しないなんてことはないはずだ。だってまだ学生で一人前の研究者になるための過程にある。相談して悪いとこなど(頼りすぎるのは毒だと思うが)ほとんどない、ということに気づいた(遅いしあほ!ほんとに!)。でも気づかぬまま卒業するよりかは全然よかったと思う。これからは頼るところは頼っていこうと思う。12月末に指導教官に相談した時、なんだか学部の時を思い出した。先生のアドバイスが優しくてクリティカルでユーモラスで、将来どうなりたいか、研究者になりたいのかなんてよくわからなかったけれど、とにかく先生みたいになりたい、みたいな憧れの気持ちがあったことが進学の一つの理由だったかもなあと思い返していた。これからは恥ずかしがらずに、分からないことはわからない、助けてほしいことは助けてほしいと素直に言おう。そうしても助けてくれるような先生だということが、失敗をしてしまった私にとっての一つの救いだと思う。

そして、頼りつつも、研究を進めることの責任は指導教官になく自分にあるということを忘れないようにしたい。それは大変なことかもしれないけど、一方で、研究がすべて自分の手の中にあって自分でスケジュールを組めるというのは精神的余裕に繋がると思う。ゼミの頻度が定まらなくて、ゼミで一度失敗すると期間が空いてしまうのでゼミでうまくやらねばというプレッシャーが半端なかった。でも、ゼミに縛られずにやろうと思う。あくまで自分で研究を進めて、すべてはその補助。当たり前かもしれないけど、なんだかまだお客様気分だったのかもしれない(と思ったけど、システム的にそうならそれに乗ろうと、乗ってうまくやっていこうとするのも普通の思考だとも思う)。そういった感覚から抜け出して、自分でやれるようになるいい機会だと思って、研究への姿勢を変えいてきていたいと思う。何よりそれが自分の余裕のもととなる。

 

4.孤独を感じた

この項を設けるのを彼氏には申し訳ないと思っている(彼氏がいたのに孤独とはなんだ!)。でも孤独を感じた分、彼氏には助けられたという意味で勘弁していただきたい。

修士時代に仲が良かった子が就職のため卒業後実家に帰ってしまった。私もその子も毎日大学にいるタイプだったので、修士の時は良く話していたのだが、いなくなってしまうと本当に良く話す人がいなくなってしまった。その子とは本当に気が合っていたので、なんでも話せて楽しかったし、悩みも分かってくれてありがたかったので、去年はその子のありがたみを感じるとともに、とても寂しかった。もともと彼氏とは恋人になる前もそれほど話していなかったし、彼氏とは帰ってから話すことはあったけど大学では話さなかった。仲良くしてもらってた先輩とも恋愛関係でいろいろあって気まずくなってしまって、半年くらいは大学では一人でいることがほとんどになってしまった。

最初は別にどうってことないと思っていたけれど、だんだんしんどくなってきた。自分には誰も友達なんていない、みたいな気持ちになっていたし、病気がひどくなっていた時期でもあったので、私は結局おかしくなってしまって、友達がいなくなってしまったんだと思ってしまっていた。特に7月ごろは、本当に胸が痛くなるくらい孤独を感じていた。

それが回復したのは、病気がやや回復したのもあるかもしれないけど、9月くらいに先述した友達に会ったこと、高校時代の親友に会ったことだった。

どちらもとても楽しくて、気持ちを共有できて、本当にうれしかった。私にも大切な友達がいるんだって、頭じゃなくて心からそう思えた。だから、私が感じていた孤独感はどちらかといえば虚構で、本当は大切な人はたくさんいるんだ、とそこから思い直した。家族だってそうだ、みんな今もずっと支えてくれていて、今大学院で生活できているのは家族のおかげだし、それまでもいろんな人と関わってきて、お世話になって、今があると思う。だから、私は本質的には孤独ではないと思った。

そうはいっても日々は孤独なので、その対策を頑張った。友達と定期的に合うようにしたり、写真を見返したり、連絡を取ったり電話をしたりと交流を持つようにした。連絡するとやっぱりうれしくて、友達のありがたさを身にしみて感じたし、改めて大切な存在だなと感じた。それとか、院生部屋が一緒の後輩とお話しするようにしたり、学内での交流も持つようにした。こういう気軽な交流ってとっても大事だったよな、と頃名前を思い返したりした。メンタルケアみたいなものについて書かれた本を読んだりもしたのだがそれが結構面白くてためになった。5つのことがメンタル維持には大切だということが書かれていて(つながる、動く、気づく、学ぶ、与える)、そのなかにも特に印象的だったのが、つながる、与えるだった。私はつながりの希薄な中にいるからこそ、つながりの大切さを改めて知った。そして与えることも重要なんだということが驚きだった。人を援助することで、自分が幸せになるということである。ヘルパーズハイという言葉もあるくらいだという。これを知って、他の人を助けられる場面があれば助けたり、話を聞いたりしようという気持ちが増えた。つながることは、相手がいることだから限界があるかもしれないけど、与えることはより人と人との境界線のゆるい、こちらが主導権を握ることのできることだと思う。

今年も、様々な人とのつながりを大切にしていきたいと思う。研究でも、私生活でも、病気をしている間も、孤独感にさいなまれた一年であったと思う。それでも、大切な友達や、助けてくれる人はたくさんいた。それは、私が知ろうとしなければ、声をかけなければ、助けてと言わなければ、分からないことだった。自分から、世界に声をかけたい。積極的に世界とつながっていきたい。そして、大切な人たちを大切にして、自分らしく生きていきたいと思う。

 

まとまりはないけどだいたいこんな感じかなあ。

今目下思ってることは、自分の気持ちを大切にすること。目先の分かりやすい目標(競争に勝つとか)にとらわれず、本当に自分が願う世界を作りたい、子供が生きやすい世界を作りたいという目標に向かって頑張ること、英語を話せるようになる(英語の本も読めるようになる)こと、芸術を学ぶこと、常にユーモアを忘れないこと!そしてつながり、感謝を忘れないこと。頑張りすぎないこと。研究では、論文1本出す。まだまだあるけど、とりあえずこの程度で。今思ってることでした。