ぷりんぱん日記

考えたことのありのままの記録

日記:やりたいことをやるということ

今日は面談があった。指導教官と研究について議論をしたとき、とにかく口を酸っぱくして言われたのが、それがわたしのやりたいことなのか、できることじゃなく本当にやりたいと思うことなのか、と何度も言われた。

やりたいことをやることが研究においては大事で、それは、研究テーマは私がこれから長い時を共に過ごしていくものなので、熱のある対象じゃないとずっと付き合っていくことはできない、ということなんだと思う。なのでそんなに口酸っぱく言われるんだと思う。

それにしても、私はやりたいことからそれてしまう傾向があるんだろうか?先生がそんなに言うということはきっと私がやりたいことじゃなくてできることに行ってしまうということなんだろうか。

やりたいことをやるというのは、責任を自分で引き受けるということだと思う。
できることは、それをやった後に、できそうだからやっただけで私の個人の主張とは何の関係もないです、と逃げることができると思う。だから、研究がうまくいかなくても負うダメージは、やりたいことをやった研究よりはましだと思う。別に自分が考えたわけじゃない、と逃げることができる。
でも自分がやりたい、これがあるはずだと証明したいと思う研究は異なる。やりたいというのは、自分の内なる思いが込められていて、熱意やパワーも強いけど、その分失敗した時のダメージは大きいと思う。どこにも逃げることができない。やりたいからやっただけだから。研究だけじゃなくて、進路選択とか、転職とか、いろんなことでも言えると思う。

大人になるということは、責任を自分で引き受けられるようになるということだと思うし、それは自分のやりたいことをやる、ということと関連すると思う。親が決めたから、周りに言われたから、やれそうなことだから、と理由付けすることからは、私はもう距離を取りたい。自分の意思で選んだ、心からやりたいと思うことやりたい。代償として、その結果起こる全責任を私が引き受けたい。

別の話として、私は今恋人と喧嘩をしてしまった。恋人の言動でどうしても許せないことがあって、それは何度も喧嘩になっていることだった。やっぱり今回も許せなくて、許せないというかとても悲しくなってしまって、気持ちをありのままぶつけざるを得なかった。いつも私は自分の気持ちを我慢して相手に伝えずやりすごすということをやってしまうのだが、悲しすぎていってしまった。相手は謝ってくれたし、なんでそういうことを言ったのかも言ってくれた。

しかし、話した後に、私は自分の気持ちを言わなきゃよかったかな、と思ってしまった。相手を傷つけてしまったと思ったからだ。相手が辛い気持ちになってしまったらどうしようと思った。辛い気持ちになってほしくないと思ったしもっと言い方があったのかもしれないと思った。話さなきゃよかったかと思った。

私はやりたいように私の気持ちを相手に伝えたが、その結果起きた、相手を傷つけてしまったかもしれない、という気持ちや相手を傷つけたという事象を、引き受けなければならないと思った。やりたいようにやった責任だ。すべての人がポジティブな気持ちでいられるとは限らない。誰かを守るためには、誰かがつらい思いをしなければならないこともある。私は、自分の気持ちを押し殺していては、しんどくなるだけだから、私は自分の辛いという気持ちを大切にするためにちゃんと主張をするということを選んだ。その結果として、相手を辛くさせた(辛いとは言っていないけど、きっと辛かったと思う)。その辛くさせたという責任をちゃんと取ろうと思う。

やりたいようにやって、責任までちゃんと引き受ける。結果まですべてひっくるめて受け止められるからこそ、やりたいように、自分の意思を貫くことができると思う。そうして、本当の意味で、自由になれたらと思う。